しお豆誕生ものがたり

しお豆誕生ものがたり

塩えんどう豆」の元祖として、「宮野のしお豆」はおかげさまで50年あまりもの間、たくさんのファンの方に食べていただくことができました。さまざまな苦難を乗り越え、ロングセラー商品に成長した「しお豆」のものがたりです。

50年前の宮野食品と、しお豆誕生のきっかけ
当時の社長と専務、幼い頃の現社長

 当時の宮野食品は、人もお金も設備も何もかもそろっていない時代。当時まだ30代だった社長と専務(現会長・副会長)が二人三脚で会社を切り盛りしていました。ある日、懇意にしていた穀物商の社長さんから「完熟青えんどう豆」をもらったことがきっかけで塩豆の開発がスタートしました。

試行錯誤を重ね、ようやく商品化へ
発売当初のしお豆

 ありとあらゆる調理法を試したもののなかなかものになるものができずに数カ月経ったある日、ふと「子供の頃量り売りしていた塩ゆで青えんどう」を思い出し、小さな子供からお年寄まで食べられる、柔らかい塩味の煮豆作りに没頭します。幾度となく試行錯誤を重ねた末にようやく塩豆が完成しました。

風評被害を受けながらも時代背景が追い風に

 発売後「美味しい」と評判になり生産が追い付かなくなるほど売れ行きは好調でしたが、劣悪な類似品が出たことで売り上げは一気にガタ落ち。信用回復のため社長が東奔西走しました。共働き世帯の増加、食生活の多様化という時代背景も後押しし、徐々に売り上げを回復していきました。

しお豆発売後、新発田市中田町に工場竣工
時代を越え、愛されるロングセラー商品に

 現在に至るまで、何度かパッケージの変更はありましたが基本的な製法は発売当時のまま。絶妙な炊き加減、塩加減を若い職人が受け継ぎ、今もひと釜ひと釜真心込めて炊き上げています。時代を越え、老若男女に愛される商品としてこれからもオンリーワンの品質を守り続けていきます。

伝統の製法を受け継ぐ若い職人

「まめぢから」で日本を元気に!

宮野食品は、城下町の小さなあんこ屋として創業しましたが、現在は惣菜や和菓子など「豆」を主な素材とした食品製造を行っています。おせち料理の「黒豆」や節分の「豆まき」に代表されるように、豆は古くから日本人の生活とともにあり、日本人の長寿を支えてきた食材と言っても過言ではありません。小さな豆に秘められた「まめぢから」を通じて、多くの方の健康づくりのお手伝いをしたいという思いで日々商品づくりを行っています。